忘れてはいけない記憶、ハンセン病患者の隔離政策

忘れてはいけない記憶、ハンセン病患者に隔離政策
無料プレゼント

5月とハンセン病

5月とハンセン病

皆さんこんにちは、ヒカル先生です。

 

今回のコラムはある問題に対して、いつもよりも増して真面目にお送りする所存です。

皆さんは「ハンセン病」という病気を聞いたことがありますか。

 

ヒカル先生よりも年配の方ならば、この病気を患った方に対して我が国が行った政策をご存知の方は多いでしょう。

しかし現在の日本においては発症する人はほぼいない病気ですから、若い人はハンセン病という言葉をどこかで聞いたことがあったかな~、といった感じでしょうね。

 

このハンセン病は「らい菌」という細菌による感染症ですが感染力は弱く、現在から70年以上も前の1947年には治療薬が確立されています。

 

ところが、このハンセン病は治療法が確立してからも危険な病気として、多くのハンセン病患者が人里離れた施設に強制収容されていた事実があるのです。

 

強制収容をもたらした法律の「らい予防法」は1996年4月1日に廃止されているのですが、今現在においてもたくさんの問題が残っています。

そして今は5月。

 

実は2001年の5月、このハンセン病問題には歴史的とも言える国家賠償訴訟が下されました。

2001年、時の総理大臣はあの小泉純一郎さん。

 

当時のヒカル先生はヒヨッ子の社会人であり、やっと政治にも興味が出てきたころです。

そんな折、小泉純一郎さんは内閣総理大臣として国家の責任を認め、ハンセン病患者の方に謝罪をしました!

 

いや~、当時の小泉さんは大変な人気を誇っていたこともあり、この謝罪の表明は大変なインパクトでした。

ヒカル先生は、5月になると当時のことが思い浮かぶのですが、皆様の中にも記憶に深く刻まれている方はいるのではないでしょうか。

 

それでヒカル先生は、そんなハンセン病問題をより多くの方々に知ってもらいたく、今回のコラムをお送りします。

 

ハンセン病とは

ハンセン病とは

ハンセン病は主に皮膚と神経に障害が現れる感染症ですが、1873年にノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師が原因となる「らい菌」を発見し、ハンセン病と呼ばれるようになりました。

 

皮膚に現れる初期の症状は、赤や白の斑紋が起こり皮膚が盛り上がったりします。

神経に障害が現れると、痛みや温度に対する感覚がマヒするほか、運動障害も起こり体の一部が変形することもあります。

 

しかしながら内臓へダメージを与えることはなく、優れた治療薬が開発されていますから、ハンセン病によって死亡することはまずありません。

 

また、らい菌による感染症といっても感染力はとても弱く、感染しても自然免疫で発症しない場合もあります。

このように、現在では何も恐れることのないハンセン病ですが、ハンセン病は大変古くから存在する病気でした。

 

なんと今から4000年も前の中国やインド、エジプトといった古代文明の発祥地にハンセン病に関する記述が残されています。

キリスト教の聖書にも記載がありますし、我が国でも日本書紀にその記録が記されています。

 

つまりハンセン病は有史以来、疫病、呪いや災いとして忌み嫌われていた歴史があるのです。

そのため日本古来よりハンセン病を患った人は、家族に迷惑が掛からないように故郷を離れ放浪することが多かったそうです。

 

この放浪は明治時代まで続きました。

 

ハンセン病患者の隔離政策

ハンセン病患者の隔離政策

ハンセン病患者の放浪の風習もあって、日本政府はハンセン病放浪者を施設に収容するようになりました。

 

しかし1931年には「らい予防法」を施行し、放浪者だけではなく全てのハンセン病患者を専用の療養所に隔離する政策を取ったのです。

 

ひとたびハンセン病と診断されると、医師や役場の職員だけではなく警察官まで伴って患者さんを無理やりに家族から引き離し、強制的に療養所に送りこむという行為が政府の主導で行われました。

 

しかしハンセン病の治療法が確立されたのは1947年ですから、当時の政府の決断はやむを得ないとみることもできます。

ところが問題はこの後です。

 

実はこの「らい予防法」は1953年に改正、それから平成に突入した1996年に廃止されるまでずっと続きました。

つまり治療法が確立した後でも、ハンセン病と診断されると強制収容され、そこから出ることは許されなかったのです。

 

ハンセン病患者は一度療養所に収容されると、本人だけではなく家族も偏見の目で見られます。

そのため、自分の名前を名乗らずに偽名を使うことが求められました。

 

ハンセン病患者と診断された人には、年端もいかない少年少女もいました。

愛する家族と離れ離れにされ、親の死に目にも会えなくなり、療養所だけのコミュニティーで一生過ごす人もたくさんいたのです。

 

療養所の生活は、施設内の男女で結婚こそ認められていたのですが、子供を作ることは不可であり、男性は断種手術、女性は強制堕胎、子供が生まれたら殺されてしまったそうです。

 

いかがですか、皆さん。

こんな信じられないことが1996年にらい予防法が廃止されるまで、今からたった23年前まで行われていたのですよ。

 

なお、前述のようにハンセン病を患ったとしても薬で治ります。

つまり療養所に入っている方はハンセン病患者ではなく、元ハンセン病患者ですからね。

 

しかしながら、なぜ日本政府はハンセン病が完治できるようになってからも隔離政策を続けていたのでしょうか。

隔離政策を開始した初期は、開国のさなかにやってくる欧米人の目を気にして隔離したと言われています。

 

また日本は日清戦争、日露戦争、太平洋戦争と立て続けに戦争をしていきましたが、ハンセン病患者は戦力とならず感染症によって国力を妨げると考えられていました。

 

そのような差別や偏見の意識が私達の無関心を呼び、政治家も医師も弁護士も積極的に異議を申し立てることはありませんでした。

また、ここまで長く社会から切り離された生活が続くと、療養所の入居者は「隔離政策の撤廃で療養所が廃止されてしまったら他に移ることができない」という気持ちになります。

 

そのため小泉純一郎さんは、謝罪だけではなく入居者への補償を約束しました。

2009年4月には100万人署名運動のかいもあり、ハンセン病問題基本法(ハンセン病問題の解決の促進に関する法律)が施行されました。

 

それで現在では国立13ヶ所、私立は2ヶ所の療養所が運営されています。

入居者の平均年齢は80歳を超えておりますので、入居者の多くはこの療養所で一生を暮らすことになるでしょう。

 

まとめ

ハンセン病と隔離政策まとめ

らい予防法が廃止された2年後の1998年、日本政府の強制隔離政策とらい予防法は違憲であると、熊本地方裁判所に提訴されました。

 

そして2001年5月11日、熊本地裁は政府の政策を不法行為、らい予防法は違憲との判決を下しました。

でもこの判決は地方裁判所の判決ですから、国は上告して争うことも可能です。

 

ですが、当時の小泉政権は控訴をすることなく、熊本地裁の判決を認め謝罪をしました。

ちなみに当時の厚生労働大臣の坂口力さんも謝罪され、衆議院・参議院からも謝罪決議、最高裁判所も比較的最近(2016年4月)に謝罪表明しています。

 

国の責任を問う国家賠償訴訟ですから、最高裁まで争っても全く不思議ではありません。地方裁判所による一審で判決した本件は極めて異例と言えるでしょう。

いかがでしたか。

 

今回ヒカル先生は、皆さんに我が国におけるハンセン病問題をお伝えしましたが、いかに大変な問題かご理解いただけたことでしょう。

でも、ハンセン病療養所に入居している方々は80歳を超える方が大半ですから、あと10年もすれば過去の出来事として私達の記憶から消えていくかも知れません。

 

ですが、過去に起こった出来事はまぎれもなく歴史の一部です。私達はこの責任を日本人として一人一人が追う義務があるのです。

以上、ヒカル先生の5月の記憶を皆さんと共有させていただきました。

無料プレゼントはこちら!